籠庭の詩
四章 揺らめく炎と覚悟と(1)
それからの記憶はあまりない。いつその場から立ち上がったのかも覚えていないが、気付けばシュマは草原の中をたった一人、家までの道をたどり始めていた。それは現在家族が泊まっている中ノ村の伯母の家ではなく、人の住む地帯のほぼ最端にある、正真正銘シュマの家への道だった。
夜はどう猛な動物たちも活発になる。そんな刻に草原を一人で渡ろうものなら、いつ危険が降りかからないとも限らない。そんな何時間もかかる道程を、こんな真夜中にそれも一人きりで行くなんて、自分でも馬鹿なことをしたと思う。けれどどうしようもなく家が恋しく、とにかく一番馴染んだ場所へと帰りたかった。
途中いくつか他の村を通り過ぎたが、村人は皆寝静まっており、シュマは誰にも気付かれることはなかった。そんな無音の村を通り抜け、虫の声のみが行く先に落ちる草原を一人草音を鳴らせ、そして空が白み始める頃、ようやく彼方にシュマの村が薄く見えた。
シュマの村も同じように深い眠りの中だった。物音一つしない他家の横をそっと通り抜け、やっと自分の家までたどり着く。一旦はその扉に手をかけたシュマだったが、ふと思い直してきびすを返した。家には入らず、代わりに足を向けた先にあったのは、シュマの家のクィル小屋だった。
こうして一人で帰ってくることを選んだ癖に、道すがら孤独はひどくシュマの身にしみた――クィル小屋に行けば、ニィがいるはずだった。
だが小屋に近づくにつれ、入り口の所に何か大きな影があるのに気づき、シュマは不思議に思って目を細める。そして小屋を作っている木の板の一つ一つが見えるぐらいに近づいた時、シュマはやっとそれが何であったのかを理解した。
その予想だにしなかった姿に、目を見開いたまましばらく二の句が継げずにいたが、そんなシュマとは反対に、相手は軽い調子で片手を上げる。
「よう、おはようさん」
それはいつもと変わらない屈託のない笑みだった。まるで、場違いなぐらいに。
「……ユエン……?」
シュマは呆然とつぶやく。立ち止まってしまった視線の先で少年は、小屋にすがっていた体を「よいしょ」なんてつぶやいて起こしている。その足下には、ひょっとして今の今まで彼に遊んでもらっていたのかもしれないニィが、ちょこんと座っていた。
「何だその化け物でも見たみてーな目。俺がいちゃ悪いかよ? シュマさん」
「いや……だってお前……」
正直な話、しばらくはシュマの前には出てこないだろうと思っていた。
――シュマは、本来彼がするべきであった役目を、そんな資格すらないのに横から奪っていったのだ。それを、ユエンが容易く許すわけがないと思っていた。
それなのに、ユエンは今シュマの前であっけらかんと笑っている。
「何ぼさっと突っ立ってるんだよ。普段からぼけーっとしてんのに、それじゃますます間抜けな顔になってんぞ」
「……え、と」
「あれ、言い返さねーの? 何か悪いもんでも食ったかお前」
おかしいぐらいにいつも通り過ぎる。いつの間にかすっかり彼のペースで、それにのまれてしまったシュマは、「すまない」と詫びるべきだと思うのにそれすら上手く言葉が出てこない。
無言のままのシュマを、軽くユエンがにらむ。けれどシュマはやはり何も言えない。そんな奇妙な沈黙がしばらく続いてしまった後、飽きたようにユエンが「まあいいや」と漏らした。
「何だか知らねーけど、お前は腹下しの薬草でもたらふく食っとくってことで、よし解決。じゃーさっさと行くぜ」
「……え、行くってどこに?」
話が飛びすぎて何が何だかわからない。瞼をしばたかせるシュマに、ユエンはさも当然というように人差し指を一本立てた。
「森」
返答が明快すぎて逆にわからない。訝しげに目を細めたシュマに、ユエンは悪げもなくにこりと笑う。
「あれだよ、あれ。薪集め」
薪? 何でまたそんなものが必要なのかとシュマは首を傾げた。確かに普段の生活の中で何かと薪は必要だけれど、どうして今、それもわざわざシュマをつれて。
そこまで考えた時、唐突にシュマは気付いてしまった。――必要は、確かにある。それも、かなりの数の薪を集める必要が。
それを見透かしたかのように、ユエンは微かな笑みを漏らした。
「ああ、
魂送
りの儀だ――メルゥのな。今日なんだよ」
魂送りの儀。死者の魂を、体から切り離し送るための儀式。
静かに告げられたその言葉に、返答に窮して黙り込んでしまったシュマへ、ユエンは目を細めて微笑んだ。何の含みもない笑顔だった。
「だから、行こうぜシュマ。薪山ほど集めて、一際でっかい炎で送ってやろう」
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