四章(2)

 行かない、と言うこともできたはずだった。シュマは衆集めの鐘が鳴ってから一睡もしていないのだし、おまけに中ノ村から夜通し歩いてきたばかりで、疲れて動けないと言ってしまえばそれまでだっただろう。
 だが結局シュマは大した抵抗もせず、言われるままにユエンの後をついてきていた。
 疲労は限界を超えていてもはやよくわからない。色んなことがありすぎたせいで気が立って、とても寝台でゆっくり横になっていようなんて気分にもなれなかったし、それに、ユエンには言わなければならないことが山ほどあるような気がした。
 けれど、いざとなると言葉は全て喉の奥で詰まってしまい、何一つとしてまともに口からは出てこないのだった。
(魂送りの、儀か……)
 ユエンに言われるまで、すっかりその存在を失念していた。死者に対して必ず行われる儀式だから、当然メルゥの儀もあるはずだというのに。けれど、それがメルゥのものとなると未だに実感がわかないのだった。
 人は死んだだけでは、魂はまだその肉体にとどまっているのだという。だから肉体だけを大地へ還すことで魂を切り離し、神の世界へと昇れるようにしなければならない。そのための魂送りの儀とは、言ってしまえば火葬だった。肉体は灰となって地へ還り、魂は神へと昇華する。
「本当は、神化の儀の後にやるべきなんだろうけどな。でもいつまでもメルゥをあのまま放っておくわけにもいかねーし、今日ってことになったんだ」
 その知らせは、神化の儀が伝えられシュマが気を失って運ばれた後、姉巫女によってなされたという。シュマが知らないのも当たり前だった。
 どうしてだかユエンは、『神化の儀』という言葉が出ても、シュマのことについては全く触れなかった。それがわざとなのか素なのか、シュマにはわからない。
「お、着いたぜー」
 ユエンがやれやれと言うように声を上げる。そのすぐ先に、木々の覆い茂る森の姿と、その手前の巫女やぐらが見えた。『果ての山』のふもとに広がる、深い森だった。今シュマたちが立っている場所も、既に背の高い草が多い。
 シュマは振り返り、後ろがちゃんとついてきているかを確認する。といっても人ではなく、ニィと三匹のクィル達だ。
 クィルは、動きは鈍いが力は強い生き物で、薪のように何かを運搬する時にはとても重宝する。だから、シュマは特に力の強そうなクィルを三匹ほど連れてきていた。
 でもやはり動きはのろいので、歩くペースは合わせてやらないといけない。が、ここまでは遅れることなくついて来られているようだった。
「シュマ殿、ユエン殿! 森へ参られるのですか?」
 森の手前に立つ巫女やぐらのすぐ側を通った時、唐突に頭上から若い女の声が降ってきた。やぐらの上の巫女のものだった。
 ユエンが昇り始めた日の眩しさに目を細めつつ、やぐらを見上げて声を張り上げる。
「はい! 魂送りの儀の準備にと思いまして!」
「了解いたしました。 言うまでもないかもしれませんが、決して森を越えて果ての山へは登られませぬように。それではお気をつけて言ってらっしゃいませ!」
 森への侵入は別に禁じられてはいない。だが万が一それを超えて山へ入ることのないよう、森へ行こうとしている者には、こうして近くのやぐらの巫女から警告と用向きの確認が入る。
 また巫女は森へ入った者が誰かを覚えていて、その者が森から帰ってこないことがわかった場合、護衛衆による捜索隊も出るのだということを以前にトエが教えてくれた。
(知らない巫女だ。それなのに、俺たちの名前知ってるのか)
 巫女はほぼ全員の顔と名前を知っていると聞いたことがある。あながち嘘でもないかもしれない。
「おい、シュマ」
 ユエンの声にはっとしてシュマは前を見る。少し離れたところで、ユエンが呆れたように笑っていた。
「何またぼけっとしてんだよ。ほら、さっさと行くぜ」
 わずかな空白をおいてシュマはうなずく。慌ててユエンの後を追い、森へと踏み込んでいった。