四章(3)

 シュマたちは森を歩き回りながら、見つけた落ち木を拾っていった。朽ちて倒れた木を見つければ、可能な部分は腰に付けた刀で分解してそれも荷物に加える。
 動きの鈍いクィルたちは狭い場所やあんまり足場の悪い場所は歩けない。だから素早くというわけにはいかなかったが、日が昇りきるころにはクィルたちの背もシュマたちの背も薪でいっぱいになっていた。薪集めに奔走しているのはシュマたちだけではない、これだけ集めれば上々だろう。
 村へ帰る前に、一同は森の中を流れる小さな川で足を止めた。川辺に腰を降ろしたところでシュマの腹の虫が鳴ったのだが、その途端隣から無造作に、木の皮に包まれた握り飯が差し出されていた。
 驚いて横を向くと、妙に得意げなユエンの顔があった。昼飯のことなんてすっかり頭から飛んでいたシュマの分まで、最初から用意してきていたようだ。
「普通飯のこと忘れっか? ある意味さすがだな」
「うるせえ。てめえがあんな朝っぱらから押しかけてくるのが悪いんだ」
 ユエンにつられて、シュマまでいつものように毒づいてしまった。けれど気持ちは晴れないままだ。
 二人で握り飯をかじりながら、シュマは布靴を脱いで川の水に両足をつける。流れが足の裏をくすぐっていって、疲れがどっと落ちていく感じがした。
「シュマ、お前覚えてるか? 山へ三人で忍び込もうとした時のこと」
 ユエンがふいにそんなことを言い出した。シュマはとっさに記憶をたどり、ああそんなこともあったかと思い当たる。
 確か十二かそこら、まだメルゥは巫女の素質のある子どもを探す『試しの儀』を受ける前で、巫女でも何でもないただの少女だった頃の話だ。
「子どもだったよなあ。神とか裁きとか何とも思ってなくてさ、すっげー軽い気持ちで山まで登ろうとしたの」
「で、結局登る手前で猟師の人に見つかって、怒鳴られたはずみでユエンが足滑らせて川に落っこちたんだっけ」
「いやー、あれは痛かったな。足挫いてしばらく歩けなかったし。あれ、発案者誰だっけ?」
「お前だよ。だから完全にお前の自業自得っ」
 ちなみにそのユエンはというと、捻挫が治りきった直後に「なあ、また山行ってみねえ?」なんて言い出している。全くこりていない彼に、さすがのシュマもあの時は呆れた。
 メルゥは隣でおかしそうにくすくす笑っていたと思う。あの頃はそこまで頻繁に具合が悪くなることもなく、まだかなり元気だった。
 ああ、そうだ、メルゥ――……。
(もう、いないんだよな)
 一時だけだが、昨日の出来事が遠い夢のように思えていた。けれどもう、決して三人そろうことはなく、今横に積んである薪は彼女のためのもの。そう思った瞬間一気に現実感が押し戻されてきて、シュマはしばやく言葉をどこかへやってしまった。
 ユエンもうそうだったのかもしれない。二人の間に何とも言えない沈黙が流れる中、隣で美味しそうに川の水を飲むニィとクィルたちの音が、やたらと大きく辺りに響いていた。
 しばらくそのままの時間が流れてしまった後、シュマは恐る恐る口を開く。言うなら、今しかないと思った。
「ユエン……すまない」
 そう口にした瞬間、ユエンがびくりと身じろいだのがわかった。けれど、すぐにそれは苦笑に変わる。
「すまないって、昨日のことか? 何だお前、そんなこと気にしてたのかよ」
 意外な言葉に思わずユエンの方を振り向くと、そこにはいつもの彼の笑顔があった。
「俺がそんなことで怒るやつに見えたかよ? 馬鹿かてめー」
 からっと笑い飛ばされ、シュマは一瞬口ごもる。だが、すぐに「けどっ」と勢いこんだ。
「けど、お前の方が絶対にふさわしい! あれはお前がやるべき役目だ。それなのに、俺は……」
「確かに俺はメルゥとそういう関係だったさ。でも、それだけじゃねーか。お前より俺の方が良い理由なんて、何もない」
「でも! 俺は……!」
 途中で言葉は途切れる。さすがに正直に言うのはためらわれた。 
「俺は……皆と同じような理由では、儀式には臨めない」
 結局出てきたのは、遠回しすぎて何が言いたいのかよくわからない台詞だけだった。
「何だそれ。他のやつらと同じ理由じゃなきゃいけないのかよ?」
 恐らく真意の半分すら伝わっていないだろうユエンは、あっけらかんと笑っている。シュマが何も言えずにいると、ユエンは呆れたようにため息をついた。
「ちいせーよ、皆と違うのが何だ。お前はお前でいいじゃねーか。お前はお前の理由を見つければいいんだよ。何かあんだろ、一個ぐらい」
 シュマの理由。そう言われてもすぐに思いつくはずがなかった。そもそも存在しているのか。
「ったく、そーんな難しい顔すんなって。気楽に行こうぜ、なあ?」
 そう言いながらユエンはシュマの背をバシバシ叩いてくる――その時、たまたまシュマは体のどこにも力を入れていなかった。背中から強い力を加えられた体は、当然のように傾いてそして、
「あ」
 一瞬だけ、シュマの体は完全に宙に浮いた。そして、森の静寂を破る盛大な水音。ユエンのかなり間の抜けた声を、シュマは水しぶきと一緒に聞いた。
 その後しばらくの静寂が流れる。そして数拍置いて、シュマはゆっくりと水浸しの体を川から引き起こした。
「……てめえ、今のはわざとか」
 自分から、こんなに低い声が出るなんて知らなかった。なぜだか猛烈に腹が立って仕方がない。ユエンの顔が少しこわばる。
「いやー、えと……不慮の事故?」
「人を川に突き落としといて、か」
 ユエンがうめく。シュマは片足を川から引き上げて、苛立ちに任せるままに乱暴に地面に着けた。
「いい加減に……しろ!」
 押し殺した声とともに、地面に着けた方の足で思いっきり土を蹴る。その勢いで体全体を跳ね上げると、一瞬ユエンの目が見開かれた。動けずにいるユエンへとシュマは飛びこんでいき、触れた感触があった瞬間、思いっきり前へと押し込む。ユエンはかなりの距離を後退し、よろめいて転けそうになっていたが、すんでのところで堪えた。
「このっ、やったな!」
 ユエンが毒づき、体の向きを変えて飛びかかってくる。シュマは地についた両足に力を込める。真正面からユエンを受け止め、お互いむんずと組み合った。
 腕がぴりぴりと痛んだが、シュマは一歩も引かず、ユエンだっててこでも動かない。が、そのうちシュマの体がずるずると押され始め、シュマは押し合いを諦め足を引っかけて相手をひっくり返そうとした。
 ユエンが転けまいと避ける。その弾みで彼はバランスを崩し、わずかによろめく。シュマはしめたとばかりにそれを狙おうとしたが、組み合ったユエンがよろけたことで、それにシュマまで引っ張られ、体全体を支えていた片足がずるりと滑る。結果的によろめきは二人分になる。
 そして、組み合ったまま、二人の体はぐらりと傾いてそして、

 ――バッシャーン!

 盛大に上がる二度目の水しぶき。シュマとユエンは一緒になって川の中へと突っ込んでいた。少し乾き始めていた体に再び水の感触が戻ってくる。それがますますシュマの苛立ちを増し、転がったままユエンに手を伸ばす。そうしてしばらくびしょ濡れになりながらもみ合っていたが、ふとしたところで急にユエンが噴き出した。
「おい、笑ってんじゃねえ!」
 シュマは声を荒げたが、ユエンの笑いは止まらず、いつの間にか攻撃を止めたかと思うとそのまま大の字になって笑い続けている。そうやって一向にしかけてこないユエンを見ていると、シュマまで戦意が削がれてしまって、伸ばしかけていた手を引っ込め、ぷいとそっぽを向いた。
 そして、体の力を抜いて頭を川底につける。水がシュマの体の端々をくすぐっていく。その冷たさに身を任せているうちに、シュマの中の怒りは、水が熱を冷ますようにするするとシュマのから抜け落ちていっていた。今の今まであんなに腹が立っていたのが嘘のようだった。
 怒りが通り過ぎた後には疲れた脱力感だけが残って、シュマは寝転んだまま上を見上げる。木々の間をすり抜け降り注ぐ日の光の眩しさに目を細めた時、シュマの肩をぽんと叩くユエンの手があった。
「ったく。少しはすっきりしたかよ?」
 はっとして、その次の瞬間、どうしようもなくこれは負けたと思った。大きなため息が勝手に漏れる。
「……なんだよ。全部お見通しってか」
 シュマはうめいた。顔は見えないが、気配でユエンが微笑んだのがわかる。
 自分でも何が何だかよくわからないままに腹を立てていたと思う。多分、ユエンに対して本当に怒っていたわけではない。そんなことでいちいち怒っていたらこいつとはやっていけない。
 苛立っていたのは、違うもっと色々なことに対してだ。もっともそんなこと、ユエンにはばればれだったらしい。
「悪い……ありがと、何かすっきりした」
「ならいい。喧嘩の相手ならいつでもやってやらあ」
 けらけらと笑うユエンの声を聞きながら、シュマは今度は小さくため息をついた。
 やり場のない苛立ちはどこかに行ってしまっても――ユエンに対する後ろめたさだけは、どうしても消えずにいる。
「けど……やっぱりお前の方が」
「まだ言ってんのかよ。ほんとにアホかお前。だから俺はないって言っただろ、発表の前に言ったあれ、謙遜じゃなくてまじだぜ」
「……でもっ」
「聞き分けのないやつだな、何度も言ってるだろ。……俺さ、次の長に推されてんだよ」
 最後にぽつりと付け加えられた一言に、周りの音が一瞬静止する。シュマは水しぶきが跳ねるのも構わず、がばっと起き上がってユエンを振り向いた。――そんなこと、全然知らなかった。
 驚きのあまり二の句が継げないままユエンを凝視していると、彼はシュマとは視線を合わせずに苦笑する。
「俺さ、メルゥとその何ていうか……恋仲だっただろ? だから、アガルは俺がメルゥの婿になって次の長に、って思ってたらしい。だから俺は、アガルと一緒に村同士の会合なんかにも出たりしてた。けど、メルゥはあんなことになってちまって、この話はなしになるかって思ってたんだ。でも昨日アガルと話してたら、どうやらそうじゃないらしい。俺はこのまま次期長候補なんだとさ」
 唖然とした。まさか、シュマの知らないところでそんな話が進んでいたなんて。けれど、まるで人ごとのように話す彼の話を聞きながら、シュマは一人納得していた。最近妙に忙しくしていたユエン。そして、いつの間にか中ノ村へと引っ越していた彼。全ては、そういうことだったのだ。
 そして、ユエンが儀式に選ばれなかったのも――、
「……俺が選ばれちまったら、次期長がいなくなるだろ。そういう困ったことにはならねーように、できてんだ。 女神(にょしん) は、この籠にとって一番良いように考えてくれるんだろ?」
 「だから」とユエンは言う。
「俺は、普通に行けば当分はこの籠から出れねーな。ま、しゃーないか」
「ユエン……」
 そう言うなぜかユエンは少しも嬉しそうではなくて、むしろどこか自嘲めいた響きさえ含んでいた。
 一瞬迷ったが、結局シュマはユエンに向かって笑顔を作る。
「おめでとう、やっぱすげえよお前。お前ならきっと良い長になる」
「……だといいけどな」
 当のユエンには素気なくあしらわれてしまったが、シュマは本心でそう言っていた。ユエンの才なら、きっと立派にこの籠をまとめてみせるだろう。
「だからさ、お前が俺に対して何か感じる必要はねーよ。俺が選ばれなかったのは必然だ」
「……」
 無言でうつむいてしまったシュマの横に、ユエンが寄ってくる。
「お前は、お前が思うような理由で行けばいい。どんなつまんねえことでもいいさ。それなら、一個ぐらいあるだろ?」
 「他のやつらなんて気にすんじゃねーよ」と聞こえてくる。振り向くと、そこにはいつもの飄々とした笑顔があった。それに促されるようにシュマは、少しだけ躊躇して、やがて微かにうなずく。
「――ああ」