五章(8)

 投げ飛ばされ、地面に押し付けられたのだと気付くまでには、少し時間がかかった。
 無理な動きをした右肩が、明らかな熱をもって疼く。それでもシュマは何とか抜け出そうともがいたけれど、シュマを強く押さえつけた護衛衆の手が、決してそれを許してはくれなかった。
 取り押さえられ、硬い地面に伏せたような格好のシュマの前に、足音を鳴らせてユエンが立つ。その顔を、シュマはにらみ付けるように見上げた。
「ユエン、お前……!」
「おおっと、そんなににらむなよ。こっちだってしゃーねーの」
 肩をすくめたユエンが薄笑いを浮かべる。その小馬鹿にしたような仕草に、一瞬かっと頭に血が上ったが、次の瞬間には感情の渦はあっという間に押し戻されていって、後には冷え冷えとした思いだけが残った。全てがただただ悲しくて、シュマは何も言えずにうつむく。
「……俺を、どうするんだ」
 しばらく間があった後、ようやくそれだけ絞り出した。
「ここで消えてもらう。それが定めだ。言っておくが、神の世界なんてこうして見当たらねえんだから、死んで行き着く先なんざ俺には答えられねーぜ」
 当たり前のように答えるユエンの瞳はひどく冷たい。――知らなかった。ユエンが、こんな顔をすることがあるなんて。
「どうしてだよ……。どうして、こんな……!」
 何もかもがわけがわからない。果ての山の向こうに神の世界はなくて、神の姿もどこにもなくて、代わりに恐ろしく巨大な樹海があって。
 親友だと思っていたはずのユエンは、何のためらいもなくシュマを殺そうとしていて、そして、置いてきたニィも別れたきり追い付いてこない――。
「知りたいか?」
 黙ってしまったシュマへと、唐突にユエンの声が降ってきた。驚いてシュマは顔を上げる。
「知りたいか? どうして神の世界はないのか、どうしてお前は死ななければならないのか。どうして――俺がここにいるのか」
 思いがけない言葉に、最初はシュマを試してからかっているのかと思った。知りたいと答えたら、そんなわけないだろとまた嘲笑を浴びせるつもりかと。
 けれど、彼の瞳は真っ直ぐにシュマを見据えていて、嘘を言っている様子などどこにもなかった。だからシュマは少しの逡巡の後、恐る恐る口を開く。
「知りたいと言ったら……教えてくれるのか?」
「ほんとはいけねーんだろうなあ。でも、どうせお前ここで死ぬしな? 死人に口なし、言ったところで害なんてねーだろ。だから、どうしても知りたいってんなら、教えてやるぐらいの慈悲はかけたっていい」
 信じられないことに、どうやら本気で言っているようだった。いや、ひょっとすると真実を知って愕然とするシュマを見たいだけなのかもしれない。例えそうでなくても、恐らく待っているのは、決して聞いて良かったと思えるようなものではないだろう。
 でも、知りたいと言っても知りたくないと答えても、どうせ待っている結末が同じであるならば、シュマは――、
「俺は……知りたい。教えてくれないか、全てを」
 ユエンの本心の見えない蒼眼をじっと見つめて、シュマは静かに答えた。
 そしてその瞬間、気のせいかもしれないが、ユエンの瞳の奥で何かの光が揺らめいたような気がしたのだった。
 けれどすぐにその光はわからなくなり、やがてユエンの口がゆっくりと動く。視界の中の空は、おぼろげな朝焼けの赤色に染まっていた。
「んじゃ、まずは昔話をしねーとな――」
 そうして放たれる言葉は、果たして絶望かそれとも――……。