籠庭の詩

間章 始まりの籠庭

 これは、籠の外の世界の物語。そして、籠が籠となるまでの物語。

 ある一つの世界があった。いつから世界が存在したのかも、誰が創ったのかも誰も知らなかったが、ただ気付けば世界はそこにあって、当たり前のように人々はその上で暮らしていた。
 創世の記憶なんてものは、幾重にも積み重ねられた時の流れの底に消えてしまって、もう二度と戻らない。けれど、そんなことは誰も気にしなかった。
 この世界がどうしてここにあるのかなんて、人々は生きていくために必要とはしなかったのだ。そして人々はただ健康と豊作と、そして家族の幸福を願い、自らの生を紡いでいった。
 そうやって人々は皆、自らの一生を精一杯生きた。人である限りいつか死が訪れたけれど、そうして生きた記憶と思いは、今度は子どもたちへと受け継がれていった。その子どもたちもいつかは母となり父となり――そうして、人は世界中に子孫を広げていき、やがて世界は人で溢れるようになった。

 世界に人がまだ少ししかいなかった頃は、人は皆仲良く手を取り合って暮らしていた。けれど、世界中に人が散らばっていくにつれ、人々は何人かで集まり集団を作り始めた。やがてその集団の中から、皆をまとめ導く存在が現れ、集まった人々はその存在のもとでますます結束を強めるようになった。
 そんな人々の集まりがいくつも現れ、いつしかそれは村と呼ばれ、そしてより大きくなったものは国と呼ばれた。
 最初は境界線などどこにもなく、上下の区別もなかった世界は、そうして国と村とに分かれて存在するようになっていったのだ。

 始めは、国と村ができても、人々はその中で穏やかに暮らすだけだった。けれど、そのうちに力を持つ大きな国が出てきて、強力な国は小さな国を自分たちの国へと取り込むようになった。そうするうちに大国はますます大きくなり、もっともっと他の国を、小国だけでなく大国をも、自分たちの支配下に置きたいと考えるようになった。
 もちろん全ての国が大人しく支配を認めるはずなどなく、抵抗する国もたくさんあった。けれど大国はそれを力でねじ伏せていった。
 そうして、大国と小国の間で、また大国同士の間で、利権を巡って争いが繰り広げられるようになってしまった。多くの命が犠牲になった。けれど、一度始まった人の争いは、始まってしまった後では、もう誰にも止められなかった。
 そんな人々の嘆きをも、愚かな争いは呑み込んでいった。

 争いに満ちた世界のとある小さな村に、一人の女性が暮らしていた。彼女は争ってばかりの世界をひどく憂い、どうにかして仲良く暮らす方法がないものかといつも考えていた。世界中の争いがなくなるのは難しいとしても、自分の村の人々だけでも、戦火に怯えずに穏やかな日々を送れるようにしたいと、そう願っていたのだった。
 そんなある日、彼女は旅人から、彼女の村からは遠く離れた少し変わった大地の話を聞いた。旅人によれば、その地はまるでおわんのような形で周囲を山に囲まれており、山の外側にはとてつもなく広い森が続いているということだった。
 それを聞いた彼女は考えた。そんな風に周囲を山と森とで囲まれているのなら、それを越えてまでわざわざ攻めてこようと思う国は、ないのではないかと。まるで鳥籠のように、住人を守ってくれるのではないかと。
 それならば、その土地で村の皆と穏やかに暮らせたら。彼女はそう願うようになった。

 けれどそんな遠くの地に行けるはずもない。行動に移すこともできず、夢見るだけの日々がしばらく続いた後のある日、とうとう近くの大国が彼女の村にも攻め寄せてきた。村は火をかけられて燃え尽き、彼女は生き残った人々とともに命からがら逃げ出した。
 行く当てもなくなり途方にくれていた村人たちに、彼女は旅人に聞いた土地の話をした。皆でその土地を目指し、大国に怯えることのない暮らしを手に入れようと、そう呼びかけたのだった。
 村人たちは最初、そんな遠くの、それも本当にあるかどうかもわからない土地へ行くことを皆ためらっていた。けれど彼女が懸命に呼びかけるうちに、平和な生活を手に入れたいという必死の願いはやがて彼らに届き、生き残った人々全員でその土地を目指すことになった。

 長く苦しい彼らの旅が続いた。大国の監視の目をかいくぐり、いくつもの戦火をくぐり抜けて、彼女たちはひたすらにその地を目指した。
 旅路の途中、通り抜けて行った国々において、彼女の思いに賛同した何人かは共に旅の仲間に加わっていった。そうするうちに彼女の噂が遠くの国まで伝わり、穏やかな暮らしを願う人々が集まってくるようになった。
 そうやって集まった人々の何人かは、彼女のことを「神の使い」と呼んだ。争いに呑み込まれ絶望するしかなかった人々にとって、安住の地を謳う彼女の存在は、まるで天から降りてきたかのように輝いて見えたのだろう。彼女は神から人々を安住の地へと導くようにとの言葉を告げられた存在であり、救い主であるのだと、いつしか噂は形を変えて伝わるようになっていた。そして、争いの中で希望を失っていた人々の間に、その噂はごく自然に浸透していったのだった。

 やがて、長い長い月日の後、とうとう彼女たちはその土地に辿り着いた。
 安住の地に辿り着いた彼女たちは、この地でこの先ずっと争いには関わることなく生きていこうと、そう決意した。
 鳥籠の中の鳥のように、閉じた地で山々に守られて生きていこうと。

 この平和を子孫の代に至るまで守りきるため、彼女はこの鳥籠を完全に閉じてしまうことにした。彼女は信用のおける数人と相談して、大きな嘘を作り上げた。
 「神の使い」との噂が立っていた彼女は、本当は使いではなく神そのものなのだと自ら宣言した。今は人の姿として存在しているが、人としての寿命が尽きれば、神界に戻って永遠にこの地を見守り続けていくのだと。人々は疑うことなくそれを信じた。改めて言われるまでもなく、人々に希望を差し伸べそして実現させてみせた彼女を、人々は神のごとく敬っていた。
 そして彼女のついた最大の嘘は、一つの神話を作り上げて残したことだった。その神話はこの世界の創造にまつわるものであったが、その中では、この山々によって囲まれた地は神の創りし籠であり、籠の外は神々のすまう神界なのだと伝えていた。
 本当は籠の外にあるはずの数多くの国々のことは、神話の中では一切書かれず、もはや存在しないものとされていた。人の世界はこの籠のみであり、人はこの中で生きていくものであり、外≠ネんて存在しないのだと。

 彼女は人々に、自分たちの子にはこの神話のみを伝えていくように言った。それがこの籠の地の平和を永遠に守る唯一の方法であると、そう言ったのだった。
 人々はもう争いだらけの外の世界にはこりごりであったし、何より「神」としての彼女の言葉に素直に従った。そして、醜い争いの歴史は記憶の底に埋(うず)め、美しい神話だけを子どもたちに伝えていった。

 代を重ねるごとに神話は真実として語り継がれ、彼女のことも籠の創造主たる女神≠ニして伝えられていった。
 神話に従い誰も籠の外には出ようとはせず、外界と一切の接触を断つことで、籠の平和は守られ続けたのだった。

 そして偽りはいつしか真実へと変わり、彼女の創った≫ト庭では 幾星霜(いくせいそう) の時が過ぎゆく――。