籠庭の詩

七章 黎明の空の下-上(1)

 白かった。どこを見渡しても、辺りの全てが白い。その色はひどく空っぽで、そして、ともすれば脆く崩れ落ちてしまいそうなほど、儚く映って見えた。微かな痛みと共に胸に染み渡る、そんな白だった。
 そんな空間の中で、シュマはふっと目を開けた。自分の存在ですら、白く透き通ってしまいそうなほどに感覚が希薄で、腕も指も動かすことはできなかった。というよりも、動かせているのかどうかが定かではなかったのだ。
 その空間の先に、周りと同じような色の白い装束の少女が立っていた。少女の肌も、触れれば壊れそうな透明感を感じさせる白で、そんな中、少女の肩までの髪だけがくっきりとした黒をこの世界に落としている。

 メルゥ

 シュマはそう少女の名を呼ぼうとした。けれどそれは声にはならず、少女はうつむいたまま、決して顔を上げようとはしない。少女の顔も表情も、影になってわからなかった。
 シュマは少女の元まで歩いて行こうとしたが、指先の一本ですら、シュマの意思には従わなかった。真っ白な世界に吸い込まれてしまったかのように、シュマの体には実体がなく、どうすることも叶わなかったのだ。

 メルゥ――っ

 声にならない声で呼びかける。けれど少女はやはり顔を上げない。
 そして空白の時間が流れた後、彼女は衣擦れの音も足音も一切たてず、静かにシュマに背を向けた。

 メルゥ、待って!

 立ち去っていこうとする少女の姿を、シュマは必死で呼び止める。そんな音にならない声が届いたのかどうかはわからない。少女はシュマの言葉に反応するように、ぱたりと足を止めたのだ。
 その顔が、ゆっくりと振り向けられる。
 ――瞬間、シュマははっとして言葉を失った。

 ユエン

 振り返った少女の姿は、いつの間にか紺青の髪と蒼眼の少年に変わっていた。真っ白な世界に突如現れた鮮やかな色は、眩しいぐらいにシュマの瞳に染みる。
 さっきまで確かにそこにいたはずの少女の姿はどこにもなく、少年一人がじっとシュマを見つめていた。その顔からは何の感情も読み取れず、瞳は切ないほどの静けさで凪いでいた。
 けれど、やがて少年も、少女と同じように静かにシュマに背を向ける。

 ユエン、待て!

 呼びかけても、歩き出した少年は今度は立ち止まってはくれなかった。変わらぬ速さで遠のいていく彼の足下には、いつからいたのか銀色の獣が一匹、寄り添うように歩いている。ニィ≠ニシュマは声なき声でつぶやいたが、同じくシュマの声に応えてはくれなかった。

 ユエン、ニィ、行くな! 待ってくれ!

 手を伸ばすことも叶わないシュマの前で、一人と一匹の姿は次第に点へと近づいていき、そして徐々に白へと溶けていくのだった。
 青の色も、銀の色も、白の中に呑み込まれていく。世界から全ての色が消えていく。シュマの視界には何一つ残らない。シュマの元から、皆去っていってしまう。
 それはひどい絶望感だった。シュマは焦りに駆られながら、ただただ同じ言葉を繰り返し続ける。

 待て! 待つんだ! メルゥ、ユエン、ニィ――……っ