七章-上(10)

 それからすぐ、シュマはエシュナと共に村へと戻った。死んだはずのメルゥはともかく、ニィは探さなくてもいいのか、とエシュナは言ってくれたが、その必要はないとシュマは答えた。
 何もないならば、ニィはすぐにでも自分の元へ戻ってきてくれるとシュマは信じている。けれどニィがそうせず去っていってしまったのには、何かニィなりの理由があるんだろう。だから今は、ニィが生きているとわかっただけで十分だと思った。
 きっとニィにも何か、やらなければならないことがあるのだ。それが、死んだはずのメルゥに関係するのかしないのかはわからない――でも今は、シュマも自分の思いのままに、自分のやるべきことをするだけだと、そう感じるのだった。
 村に着くと、シュマはエシュナと別れて、ある人物の住む家へと向かった。こんな夜遅くに会いに行くべきでないのはわかっていたが、今こうしている間にも籠は燃え続けている。そう思うと朝まで待っていることなんてできなかった。そうしてシュマは、ある家の前でその戸へと手を伸ばす。
 ドンドン、と戸を打つ音が木霊する。シュマがやや控えめに鳴らしたそれに反応して、その家の住人が起きてくる気配がした。しばらくして、「誰だ?」と、寝ていた割にしっかりとした声が中から聞こえてくる。
 シュマは必死で口を開いた。
「こんな遅くにすまない。俺だ、シュマだ。開けてくれ、トイル……!」
 そう呼びかけた次の瞬間、何の前触れもなく突然扉が勢いよく開き、シュマは反射的に飛び退いていた。開いた向こうに、いつものように小綺麗に長髪をまとめたトイルの姿がある。
 いきなりのシュマの訪問に対し、その顔に驚きは浮かんでいない――シュマが来るのを、予感していた感さえある。
「よお、シュマ」
 軽い調子も変わらないままに、トイルが片手を挙げる。そんな彼の様子に、逆にシュマが気圧されつつも、トイルの瞳の奥を真っ直ぐに見据えて言い放った。
「トイル、お前は、いつでも俺の助けになるって、そう言ってくれたよな」
 うなずくトイルは、薄く笑ったようだった。
「なら、お前に頼みがある。こんなことお前に頼むのは筋違いなんだろうけど、俺一人じゃどうにもできない。俺は――」
 シュマはすっと息を吸い込む。
「籠を放っておくなんて、できない。忘れてしまうなんてことはできない。籠が危機に瀕しているっていうなら、俺は籠を、籠の皆を、助けたい」
 シュマが最後まで一気に言い切ったその時、トイルは今度こそはっきりと微笑みを見せた。
「ふっ、決めたのか。実を言うとな、待ってたんだぜ。その言葉をな」
「え――?」
 唐突な台詞に、虚を突かれたシュマは目を瞬かせる。トイルは穏やかに笑ったままで、優しすぎるその眼差しに、張り詰めていたシュマの緊張の糸はするりとほどけていく。
「シュマ、ちゃんと寝たか? 今すぐ動けるか?」
「え、一応数刻だけ寝てるから動こうと思えば動けるけど……」
 わけもわからずそう答えると、トイルの笑みが少しだけ不敵なものに変わる。
「じゃあ決まりだ。よし、いいかシュマ、よく聞けよ? ここから果ての山に向かって歩いて行ったら、そのうち崖下に到着するのはわかるよな。そこから、崖沿いに右手にしばらく歩いて行ったら、崖の壁に洞窟が口を開けてる。――そこに今から向かえ」
 意図の見えない指示。けれど、トイルの強い口調に押されるように、シュマはこくりと首を上下させた。
 その様子にトイルがまた笑う。
「俺は先に行って待ってる。――心配すんじゃねェぜ、俺たちはもちろん、お前を助けてやらあ」
 

 トイルに言われたままに、シュマは崖の元へと引き返す。崖沿いに歩いて行くと、洞窟はすぐに見つかった。といっても、岩の割れ目が入り口となっているだけのそれは、教えられていなければ見落としてしまっていたのではと思えるほどに、ひっそりと存在していた。
 狭い入り口から身をかがめて中に体を差し入れると、その入り口と大差ない狭さの細い通路が続いていた。持ってきた松明で照らしながら、頭をぶつけないように注意深く進んだ先で、ふいに圧迫感をもよおす間近の岩壁は消え去った。――そしてシュマは、はっと息を呑む。
「ちゃんと来たじゃねェか。待ってたぜ」
 シュマの見つめる先でトイルが笑っている。
 狭い道を抜けたそこは、唐突に大きく開けた半球状の空間となっていた。外からは想像できない広さのその中にいたのは、驚いたことにトイルだけではなかった。
「これは……」
「びっくりしたか? すげぇだろ」
 トイルが得意げに胸を張る。
 その彼の周りには、取り囲むように並んだ、何十人もの男達。数人が持った松明に照らされたその顔は、どれもトイルと同じくらい若い。
「全部で三十二人いる。お前を手伝ってくれる、俺の仲間たちだ」
 唖然としてシュマは辺りをぐるりと見渡す。その中には、トイルの近くに立ったリシェンの姿もあった。いつもの頭の覆いは、今は被っていない。
「どうして――」
「籠を助けたいんだろ? ここにいる全員、お前と同じ思いだ」
 言葉もないシュマに、トイルが微笑みかける。
「俺たちは、確かに大昔に籠を追い出されてできた村だ。でもな、結局もとは一つの民だろ? その籠が危機だってのに、見捨てんのは非情すぎるってモンだ」
 トイルの言葉に、その場の皆々がうなずく。
「でも長のエサンはあんな態度で、籠だって見知らぬ土地には違いないし、俺たちだけじゃどうにも動きづらい。だから準備だけして待ってたのさ、お前がこうして頼ってきてくれるのをな」
「トイル……っ」
「さあ、行こうぜシュマ。籠へ」
 優しい笑みに、シュマはこみ上げてくるものを感じ、耐えきれずに目を伏せる。
 全て失ったと思っていたのに、まだこうして助けてくれる仲間がいる。シュマがシュマでいる限り、思いに応えてくれる存在がいる。シュマの道は、決して途切れてなんかいない。
「ありがとう、トイル、みんな――」
 だから、行こう。シュマはシュマとして、シュマ自身の思いとともに。

 ニィ、ユエン、メルゥ――俺、頑張るよ。