七章-下(5)

「これまで何があったのか、聞いてもいいかしら?」
 しばらくしてから控えめにトエが尋ねてきた。シュマはややためらった後に口を開く――今までの経過を思い起こすと、未だに胸が疼くのだった。
「俺は一度殺されかけて、でも最後にユエンが助けてくれた……それで、今ここにいる。でもユエンと長は……」
 その先まで言葉にすることはできずに言葉を切ると、続きは察してくれたのかトエがこくりとうなずく。それに促されるように、シュマは心を決めて語り始めた。儀式で起きたこと、その結末、籠の外にあった村――。
 全てを話し終わると、トエはふっと長い息を吐き出した。
「……だから二人とも、戻ってこなかったのね」
「……」
「この火事の原因は、あなたたちの考えた通りよ。初めは小さな騒動だったの。それこそ簡単に鎮められるような、ね。でも気付けばこんなに大きくなってしまっていた。私たちは、それを抑えることができなくて……今はもう、民たちは何を信じて良いのかすらわからずにいるわ」
 トエの瞳には色濃い憂いがよぎる。その諦めたような目はどこかエサンに似ていると、ちらりと思ってしまった。
「村々は炎に包まれて、籠の嘘は剥がれ落ちて、全て崩れ落ちようとしている。元々偽りしかなかった世界なのに、それさえも壊れてしまったら」
 何も残らないのに、とつぶやいてトエは目を伏せた。そんなトエに向かって、シュマは少し迷った後に、
「なあトエ、頼みがあるんだ」
 真剣な口調で問いかけると、トエの瞳がシュマを見上げてくる
「何も残らないなんてことは、ない。少なくとも俺たちは今生きてる。生きてる限り希望は消えないって、俺は信じてる」
 トエがはっとした表情で黙り込んだ。黒色の瞳は、暗闇の中で複雑な色を揺らめかせている。
「だから俺は、守りたいと思ったんだ。籠と、籠のみんなを。親父とお袋も、妹と弟も、叔母さんと叔父さんも、友達のことも、そして――お前のことも」
「……」
「だから俺は籠に戻ってきた。こんな状況でもまだできることはきっとある。救えるものもあるはずだ。だからお願いだ、手伝ってくれないか、トエ」
「……そんな……」
 何とも言えない表情でトエは視線を逸らす。シュマが差し出した手を、ためらってなかなか取ろうとしない。
 そんな中、口元は迷うように小刻みに動いていた。
「希望なんて、あるのかしら……私は……」
 「この籠を守るだなんて……」と沈んだ瞳を静かに伏せる。けれど、それでもシュマは伸ばした手を引っ込めようとはしなかった。
 そして、トエが再び口を開きかけたその時だった。

「――きゃぁーっ!!」

 どこからか響き渡った鋭い悲鳴。シュマははっと息を呑み、トエは弾かれたように振り返った。方角を探るようにトエが聞き耳を立てる。
 次第に不穏な色が辺りに滲み始める中、張り詰めた空気が痛い。シュマはごくりと生唾をのみ込んだ。何が――あった?
「この向き……巫女殿の方だわ」
「どうしたんだ、まさかそこまで火が」
 暗闇の先を見つめるトエの表情は険しい。
「巫女殿は村から外れているから火は届いていなくて、皆の避難所になっていたはずよ。もちろん中には入れてもらえないけど――」
 トエの言葉を聞きながら、シュマはすっと息を吸い込んだ。冷たい空気が喉の奥を刺す。
(何なんだ、この感じ)
 火事なのだ、悲鳴がしたって不思議ではない。それなのにどうしてこれほどにも嫌な予感がするのか。
「行ってみよう、巫女殿まで」
 シュマがそう言うとトエはしばらく間をおいてうなずく。それを見届けてシュマは小走りで駆け出した。わずかな間の後、背後でトエが続く気配がする。
 暗い草原に響くのは二人の鳴らす草音と息づかいだけだった。静かすぎて次第に焦りは募っていく。
 高まっていく緊張を、シュマはその身に感じつつあった。